「当然意識」って面白そう!
「当然意識」という言葉を調べてみると「買ってもらって当然」という気持ちを持って営業しなさい。などと書いてある。自分が営業マンだった時にこの意識がもっと強かったならもっと成績も良かったとかなと今更ながらに思う。
ただ、当然意識を考える時に「なぜ当然なのか」の根拠が正しくないとただの自我の吐き出しだとか自己都合の押付けにしかならない。相手にとっては迷惑千万。不快な思いにさせてしまうだけ。では正しい根拠とは?それは自分も相手も幸せな状態になる事。安心感、優越感、満足感、幸福感、達成感などをお互いが感じられているか。そこをゴールにする。その為には相手の事を分かっている必要がある。
確かに昔なら誰もがいい暮らしをしたい、だから沢山お金やモノの量が必要だと考える人が多かった。しかし最近は幸福の形も多様化しており、必ずしも物的な満足に皆んなが向かっているわけではない。それと同じくらいに自分らしさだとか存在意義だとかの精神的な満足を求める人が増えてきた。例えば部下の機嫌を取る時に飯に連れて行ったら解決する時代ではないこと。むしろ嫌いな上司と飯なんか行きたくないのだ。それよりも親身に自分の考えや意見をまず聴いてくれる人なのかどうかを見定め、そういう人なら一緒に飯を食べてもいいと思っているはず。相手の望まない押付けを知らずにしていたら当然嫌われる。自分尺度で考えたら間違えてしまう。
当然と言い切れる為には心の奥底からそう思う事。自然に溢れ出てくる考えである事が前提。それも独りよがりの自信ではなく、考えのプロセスにおいても常に相手が幸せになれるのかをチェックしながら積み上げていく。自分の考えている幸せイメージを相手にわかりやすく伝える。あくまでも成果はそこに出てくる数字のように定量的なものだけでなく定性的な部分に重きを置く事が必要だと考える。
「これだけ相手とも話し合って相手の幸せイメージを共有できたから、このように行動してもらう事が当然だ」という当然意識を前提に生きていこうかと思う。
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